よっ! パーマの江古田ふらふら ぱあ散歩 Part1


ぱあ散歩

13代ベース渡辺裕紀さん(愛称:パーマorパーマさん)からお寄せ頂きました最新の江古田レポートです。

Part1

忘れられないことの中に
何でもないようなことがある
それはいつも記憶のどこかで
色もあせずによみがえる
僕が江古田に住んでいた
四年の月日のその中で
出会う人がいつも楽しみで 若い日々は夢現つ
踏み切りのそばの喫茶店は 電車が通ればふるえだす
ウインナーコーヒーのミルクかげんに
ちょっとうるさい広瀬夏子
彼女にとってこの街は はじける季節の仮の宿
日芸 武蔵 武蔵野音大 思い出の街

「江古田スケッチ」 (唄)竹内緑郎と旅行かばん より

9月より練習一途で江古田に通っている私ですが、ふと考えてみれば江古田の街をゆっくり思い起こしていない、心に余裕が無い・・・練習会場とお志どりや鳥忠との往復ばかり・・・こんなことでは良い音楽は演奏出来ない、と思い10月16日 今日は練習OFFの日なので凡そ30年前を懐かしみ、江古田の街を記憶をたどって散歩してみました。天気のあまり良くない日が続いたなかで久々の秋晴れ、音楽の神様は私に最高の天気をプレゼントしてくれたようです。

ちなみに タイトル 「ぱあ散歩」は「ちい散歩」とよく似ていますが、まったくの偶然・・・ではありません、100%おもいっきりパクリました。

江古田の街の南口側 北口側を半日かけてゆっくり歩きましたので1回ではレポートしきれません、数回に分けてレポートしますのでご迷惑でしょうが興味と暇のあるご同輩はお付き合い頂ければ幸いです。

ところで、江古田の地名の由来 ご存知ですか? 今回の散歩で判りました。

室町時代の頃ですが、ひじょ〜に親孝行な息子がいたそうです。みんなその子のことを えー子だ(良い子)と言い、武蔵国豊島郡一帯では えー子だのいる村と呼ばれ それが縮んで「えこだ」と呼ばれるようになったそうです。

と言うのは私が今考えた作り話で、本当はエゴの木がいっぱいはえていたからだそうです。

エゴノキ(Styrax japonica)とはエゴノキ科の落葉小高木である。北海道〜九州・沖縄まで、日本全国の雑木林に多く見られる。和名は、果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことに由来する。チシャノキ、チサノキなどとも呼ばれ歌舞伎の演題『伽羅先代萩』に登場するちさの木(萵苣の木)はこれである。〕

えっ、そんなことはどうでもいいから早く始めろって? 前置き文章なんか誰も読んでないって?

それではレポート致します。

久々の秋晴れのなか池袋から江古田に到着しました。途中の椎名町や東長崎の駅は建替えられて綺麗になっていました。

ホームに降りて「あれっ?江古田駅のホームってアイランドじゃなかったっけ?対面式になってる。そうか、江古田駅も工事してるんだ・・・おぉー!エスカレーターがある」年齢的に膝痛が悪化している私にはありがたいことです。とエスカレーターで上へあがると何と綺麗な改札口、ここで私はいつもの本能が・・・トイレ行こう・・・新しい建物に入ると必ずトイレをもよおすのです。とりあえずトイレへ行って ジャー ・・・・・・マーキングして大満足。 これがいつもの私の癖 本能です。<犬か お前は!> とにかく大満足、充実感。

江古田駅ホーム
江古田駅改札
対面ホームとエスカレーター
改札を見る

改札を出て左へ南口へと向かいます。地上へは また下りのエスカレーター駅舎を出て正面の風景は昔と変りません。マグドナルドもまだある。と、懐かしい景色に安心しながら振り返って駅舎を見ると「げげえー!!!何だこの駅は 無残にも昔の面影など全くない。無機的で冷たい物体が堂々と鎮座している。」私はずーと建築屋だったのでこんな建物いっぱい建ててきた。「こんなもの見たくも無い。昔の駅舎を返せ!」と思いつつ 北口が気になって北口へと向かいました。

江古田駅南口正面
正面出て右側風景
江古田駅南口正面
正面出て右側風景

またまた駅構内を通って北口へと向かいます。北口へ出て少しホットしました。無機的物体はあるものの、昔ながらの狭い道と正面の浅間神社様が心を落ち着けてくれました。

もっとも まだ江古田駅は建替え工事中で外周りは完成していません。

江古田駅北口
北口前浅間神社
江古田駅南口正面
北口前浅間神社

本日の散歩は江古田駅南口側からスタートの計画だったのですが南口でショックをうけてしまい、北口にて少し平静さを取り戻しました。 南口に戻るには勇気がいるので計画変更で北口から始めることにしました。どんな変化が待っているのでしょう。少々不安のなか出発です。

北口を出て左側、江古田銀座と踏み切りの方へ歩き出しました。するとすぐにアーチ状のものが見えます。南口側と北口側をつなぐ地下通路です。江古田の開かずの踏み切り対策でしょう。「だったら線路を地下にして田園調布駅のように昔の駅舎を出来るだけ残すようにしろ。新しければ良いというものではない。」とまだブツブツ言いながらそのまま少し進むと「おー まつば食堂だ」私は一回位しか行ったことないですけど、通った方もいらっしゃると思います。感激しながらよ〜く見るとシャッターが降りて何か張り紙がしてあります。なんと9月25日に閉店してしまったそうです。56年の歴史にピリオドです。ジーンまたしてもショックです。出だしからショック続き。となりの和田屋は健在です。この店は北口で数少ない大人数で行ける飲み屋さんでした。あんこう鍋がけっこう安かったです。よく食べました。そういえば、この店で横堀氏がビールのコップをかじって割ってしまい少し騒ぎになったことがあります。彼はそんなにお腹がすいていたのでしょうか。

北側地下通路
まつば食堂
北側地下通路
まつば食堂
まつば食堂閉店のお知らせ
和田屋
まつば食堂閉店のお知らせ
和田屋
まつば食堂閉店のお知らせ
江古田ゆうゆうロード入り口
踏み切り 南側を見る
江古田ゆうゆうロード入り口

江古田ゆうゆうロード入り口(踏み切りのところです)まで進むと この先にマザーグースがあったはずです。まつば食堂の悪夢が覚めやらぬ 今少し不安ですがそのまま進みます。すると「あっ あった マ マ マザーグース。」外観は少し変っていますがしっかり残っていてくれました。 看板が少しこわれてて時代を感じます。

マザーグース
ちょっと文字が剥がれています
マザーグース
ちょっと文字が剥がれています

この傍に花月庵があったはずです。大内さんのホームページ(タカさんのどこいこうか)に花月庵が載っていたのでまだあるのは間違ない。そこでお昼にしようと花月庵へ向かいました。

マザーグースの脇を入って真っ直ぐに50m位進むと花月庵。期待通りにありました。中に入るとお昼時なのに誰もお客さんいない「大丈夫かしら」と思っていると常連さんらしき人たちがそれぞれ時間差で3人入ってきました。品書き見ないで注文するので常連さんです。私も壁の品書きを見て鳥南そばを注文。ここの鳥は大ぶりです。値段550円。今時この値段は安い。普通安くても700円〜800円位はしてます。ここの品書きは創業時代からのもので値段以外書き換えてないそうです。値段もいつ書き換えたのでしょう。金額の文字も薄くなっていました。ちなみに、創業は昭和23年。武蔵大学のバレー部やヨット部、落研が練習後常連だったそうです。それに今のご主人の息子さんは武蔵大学 剣道部卒で、今社会人4年目だそうです。ご主人に取材してしまいました。

花月庵と北に向かった通り
花月庵正面
花月庵と北に向かった通り
花月庵正面
創業以来の品書きとご主人
鳥なんそば
創業以来の品書きとご主人
鳥なんそば

さてと、お昼もすませ散歩の続きです。お店を出て20m程戻ります。そうです。江古田市場通りへ向かいます。ここは昔と全く変っていません。相変わらず活気があり、買出しに行ったセイフーも健在でお客さんで賑わっていました。セイフーを過ぎると松屋が見えます。何気なく普通の松屋ですが、実はここは松屋第1号店なのです。現役の頃 徹マン(徹夜のマージャン)で2抜け3抜けの人は夜食を買いにここに来ました。当時から24時間営業でした。当時松屋の本社は石神井でした。今は三鷹の駅前に自社新社屋で移転してます。<よく知ってるな〜>

松屋を左に曲がって北へ歩きます。この辺では道の記憶が無いので心当たりの道をいくつか歩いてみます。フィレンツェを探したのですが見つかりませんでした。知ってたら教えて下さい。フィレンツェのサフランライスに鶏肉のトマトソース煮のランチ 大好きでした。皆もよく行きましたよね。「また食べたい。もう無いかもしれない。」と思うと余計に食べたくなります。

フィレンツェを探しているうちに武蔵野音大の正門に出ました。武蔵野音大も改修して綺麗になってました。4年生の時だったと思います。ここの学園祭に行って留学生・・東南アジアの方でした・・の出店でバナナの燻製を食べました。あまり美味しくなかったと記憶してます。でも仲良くなちゃいました。もちろん女の子達でした。

花月庵と北に向かった通り
江古田三大学学園祭を応援する商店街の旗。江古田は三大学で成りたってます
江古田市場通り
三大学学園祭を応援する商店街の旗
松屋と北に向かった通り創業以来の品書きとご主人
武蔵野音大正門
松屋と北に向かった通り
武蔵野音大正門

武蔵野音大に別れを告げて環七の方へ歩きます。並びにエスニック料理のレストランがあります。チョッと気になります。「機会があれば行ってみようかな。」そういえば江古田の音大側には昔から住宅街に結構お洒落なレストランがありました。民家を利用したフランス料理のレストランがあってデートに使いました。なかなかいい感じのお店でしたが、残念ながら今はありませんでした。音大から200m位歩くと環七に出ます。出た所に西武有楽町線の新桜台の駅があります。これは都心から西武池袋線への地下鉄有楽町線の乗り入れの駅です。いやあ〜なんと便利になったことでしょう。ちなみにこの線は都心に向かっては池袋〜永田町〜有楽町〜銀座一丁目〜新木場までの大変便利な地下鉄です。現役時代はこんなものが出来るなんて思いもよらなかったです。一駅池袋よりの小竹向原の駅もそんなに遠くはありません。

環七をはさんで新桜台駅
新桜台駅江古田側
環七をはさんで新桜台駅
新桜台駅江古田側

新桜台駅まで行ったところで再び江古田駅へ戻ります。江古田ゆうゆうロードを江古田駅方面に向かってGO。のんびりと歩きながら商店街になじみます。100m程歩いたら5差路があります。その5差路右2本目に曲がって行くと武蔵大学の正門に出ます。じゃあその道を歩きましょう。50mちょっと歩くと万福という中華屋さん(ここもよくお昼を食べました)と梅きちがあるはずです。万福が見えて来ました。「あれっ?」名前は変ってますが中華屋さんです。「そうか 万福もなくなったか。」と思いその先を見ると  なっなんと梅きちが取り壊されて何か建設中です。「梅きちもなくなってしまったか。」とがっかりしつつ梅きちの角を左へ曲がります。この時これから起こる超大ショックをまだ予想だにしていませんでした。

梅きちの跡と旧万福
武蔵大学正門に続く道
梅きちの跡と旧万福
武蔵大学正門に続く道

梅きちの角を左へ曲がって少し歩くとエデンというマージャン屋さんがありました。故斉藤先生とよくマージャンした店です。でもそこは雰囲気さえ無い。気配も無い。それにエデンの傍にあった「旅荘 葵」という昔のビジネス旅館なのか連れ込み宿なのかよく解らなかった旅館もありません。感じが全く変ってしまっています。「あ〜あ 斉藤先生との想い出が無くなってしまった。」とがっかりです。気を落としたまま歩いていると。「おや?愛情ラーメンは?」確かこの辺のはず。「店の親父さんもおばさんも御年だったから無理もないか。」と理解しつつも全てを失い呆然自失です。

エデンと葵のあったあたり
愛情ラーメンのあったあたり
エデンと葵のあったあたり
愛情ラーメンのあったあたり

何とか気を取り直しつつ再び江古田ゆうゆうロードへ合流です。江古田ゆうゆうロードの北側を眺めそして江古田の南口へ向かいます。ここで北口散歩ですっかり忘れていたあの忌まわしい江古田駅の駅舎を思いだしてしまいました。「建替え計画の担当者たちはどこの大学卒業だ。やっぱり武蔵大学の品性は偉大だ。」と思いつつ踏み切りへ向かい、そして踏み切りを渡りました。

江古田ゆうゆうロードへ合流
踏み切り渡った南側
江古田ゆうゆうロードへ合流
踏み切り渡った南側

「ぱあ散歩」PART1はここまでです。ちょっと長くなってしまったのでPART2からは短めに編集したいと思います。

PART2はいよいよホームの南口周辺です。最初に北口アウェイを紹介したのは邪道だったかもしれませんが、どうかご理解下さい。なかなか東京に出て来れないOB・OGの皆様。「ぱあ散歩」で今の江古田の雰囲気を少しでも感じて頂けたら幸いです。PART2も早急に編集致しますのでまたお付き合いの程願います。

※江古田駅での驚きの感情は初めて江古田駅に降りた時のものをそのまま今回使いました。でないと既に何回か江古田に来てるのに不自然ですから。

 

 


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