ぱあ散歩 月の光 4


前回は江古田を離れ、大塚と恵比寿でお月さまの光を楽しみました。今回は再び江古田に戻ります。

本日の仕事は渋谷で終わりました。「ぱあ散歩の取材に行きますから」と会社に直帰のTEL入れて江古田へ向います。「前回3でも京橋から直帰だし、初回も直帰でしょ?直帰多いですね?」って? 失礼な、直帰が多いのではなく、直行も多いです。定年まであと数年の気楽なオヤジです。

さてと、渋谷から江古田へは少し前までは、山手線外回りで池袋乗換えで江古田でしたが、今では直接 地下鉄副都心線新桜台駅下車で乗換え無しでピューッと地上に出ずに行けるのです。大変便利に、楽になりました。おおまかなルートは渋谷~新宿3丁目~池袋~新桜台~徒歩江古田です。

新桜台駅改札

新桜台駅改札

渋谷からピューッとやってきました、新桜台駅。駅は環七沿いで江古田ゆうゆうロードの傍にあります。新桜台の駅から江古田ゆうゆうロード歩いて江古田駅の方へ行こうと地上に出ました。出てすぐ、ゆうゆうロードの入り口、赤いテント?の呑み屋さん、見覚えあります。よく見ると「りつ」と書いてあります。

新桜台駅

新桜台駅

「りつ!」「りつ」と言えば1年後輩の横堀氏が通っていたお店です。私も彼に連れられて何回か行きました。いや~懐かしい。本日1件目はここ「りつ」以外は考えられません。江古田駅周辺のお店を訪ねる予定だったのに急遽変更です。地上に出て30秒、しょっぱなからすぐに引っかかってしまいました。半歩歩けば呑み屋に当たる。江古田は奥が深い。

りつ外観

りつ外観

真っ直ぐ「りつ」へ向います。入り口の引き戸へ手をかけ「店内どんなだったっけ?」
急な出会いですぐには思い出せませんが、手が勝手に扉開けて、足が勝手に店内に入って行きました。全く躊躇無しです。

カウンターに着いて飲み物お願いします。まだ事情の説明はしません。ビール飲みながら料理をお願いします。Vol1では最初からペースを間違えたので、今回は先を考え(4件は行くつもりです)少量の料理をお願いします。

りつ店内

りつ店内

「たまご焼き」をお願いしました。「これならお腹膨らまないだろう」ここで、ビール飲みながら店内をゆっくり見渡します。だんだん思い出して来ました。「懐かしいなあ」と呟きながら親父さんに「30年程まえね・・・と話出します」親父さんも「合唱団の人 誰だっけ名前忘れたけど来てましたよ」と答えてくれました。ブログに載せるのでと言って写真の許可をもらい、店内あちこち撮影します。座敷には昔のポラロイド写真(ポラロイドだから昔に決まってます)がいっぱい貼ってあります。

ポラロイドが写真いっぱいの店内

ポラロイドが写真いっぱいの店内

写ってる人達の中からじっくり探せば知ってる人写ってるかもしれないけど、その数多すぎて朝までかかりそうです。人探しは止めて、親父さんと話しをします。っとその前に、お願いしていた 「たまご焼き」あがってきました。お皿の中見てびっくり、すごいボリュームです。コレステロール平気かな?たまご焼きというよりオムレツと言ったほうが正解と思います。味も最高です。
料理いただきながら親父さんとお話です。親父さんからいっぱい話しをしてくれました。

おじさん&さくらさん

おじさん&さくらさん

「りつ」は昭和45年に開店したそうです。当時鳥忠は既に在り、和田屋は南口にあったそうです。当時あったお店達 「パチンコ屋も中華屋も八百屋も皆マンションになってしまった」ってぼやいてました。確かに周辺マンションだらけに変わってました。開店時親父さんは26歳で今は68歳だそうです。大学(専修大学)卒業後、大手の鉄鋼商社に就職してお勤めし、暫くして、今で言う「脱サラ」してこのお店始めたそうです。・・・こんな個人的なことまで話してくれました。(個人情報保護法平気かなあ?)もっと驚きが麻布十番の二の橋の交差点の処で「りつ」というスナックやってたそうです。やきとんで有名・人気の「あべちゃん」の傍だったらしいですが、今の「あべちゃん」は一の橋に近い方、りそな銀行の西側先の方にあるので、今の「あべちゃん」は引っ越して来たのかしら?私は当時の「あべちゃん」は勿論知りません。

「あべちゃん」というお店、麻布十番駅から遠くない所にあり、やきとん・煮込みで人気でいつも混んでる呑み屋さんです。紹介本にも載ってます。私はたまたま偶然呑みに何回か行ってて、あとで有名な人気店と知りました。お昼もやってて昼食で「麻布ライス」食べたこともあります。(麻布ライス・・・モツの煮込み丼で甘めの味が特徴です)

親父さんの話を聞きながら呑んでると常連さんの来店です。串焼きのレバーをお願いしたのを聞いて「私にもそれ下さい」って注文しました。出来てきたのを見てビックリです。大ぶりのが3本お皿に乗っかってます。たまご焼きもレバー串焼きもボリュームでかい。全ての料理がボリューム大だと思います。

常連さん達とも会話しながら楽しく時は進みます。ぱあ散歩の話をしました。すると、会話に加わっていた常連さんが、スマホで検索してリーデルクランツOB会のホームページ開いてくれました。昨年の「ぱあ散歩」見てくれました。「今度ゆっくり読んで下さい」ってお願いしました。

さて、名残惜しいけど次に行かなくては、お店出ます。親父さんからは「りつ」を取材した「ぱあ散歩」のコピーが欲しいと頼まれました。パソコン苦手なようです。掲載は11月上旬位になると思う旨を伝えます。プリントアウト持ってまたお店行く約束しました。日曜日が定休日だそうですので練習のある土曜日に行かなくては。「そうすると11月26日かな?それとも、機会があれば平日もよいなあ」と再来店が楽しみです。
本日の1件目として大正解でした。本日もさい先よし!

江古田ゆうゆうロードを足取りも軽く、江古田駅の方へ向って歩きます。踏み切りまでやって来ました。「そうだ、和田屋へ行こう」踏み切りで左側を向きます。「ん?・・・和田屋の辺り明るく無い」和田屋の前まで行きます。電気は消え、シャッター降りてます。「ガーン、やってない! いやっ待て、そんなことよりも、今日は平日、なぜ和田屋だけやってない?」・・・・いやな予感がします、この先ずっと閉店?入り口の前で暫し時間はフリーズです。 するとタイミング良くシャッターが開いて中から女の人が出て来ました。すかさず「今日はお休み?」って声かけます。「お休みです」のお返事です。今日はお休みでした。ホっとしました。「また今度くるね!」と声かけその場を立ち去ります。「次回は和田屋行こう」

踏み切り渡り、線路沿いに江古田駅の方へ、「お志ど里」へ連る路地へ差し掛かります。この路地は、「ぱあ散歩 Part2」で登場した、女性陣がテレビ出演中、歌の下手な男性陣が呑んだくれながら、そのテレビ見てた呑み屋のあった路地です。先頭切って呑んだくれてた私としましては大変懐かしい。その時のお店はもう在りませんが、在ったらしき場所へ記憶を辿りながら行ってみましょう。

路地へと入ります。一番奥が「お志ど里」です。入って10~15m位、「この辺だよな
『ひょうたん』は昔からあったから、ここは外して、ここかな?」 目の前は「とりや 吉衛門」の看板と縄のれん。はかた地鶏の炭火焼の店です。「呑んだくれてた店でなかってもいいや!、これは行かなくては!!」なんか良さそー

ガラガラ・・・「今晩は、ここは昔、私達が呑んだくれてた店ですか?」って聞くわけない。普通にお客としては入ります。L型のカウンターについて(カウンターしかありません)飲み物お願いします。そして、炭火焼お願いします。正肉・砂肝・手羽・ささみわさび(大好きです)・レバ(あちゃー レバはさっき「りつ」で食べてきた・・・焼き上がってきてから思い出しました)等々。

吉衛門外観

吉衛門外観

はかた地鶏なら地焼酎です。 ククッっと飲みながらいつものように事情を説明です。 ここ「吉衛門」は9月13日で11年目を迎えました。もと「道草」の後だそうです。「道草」の隣は焼き鳥屋さんだったそうです。その横は昔からある「ひょうたん」です。「道草」記憶あります。当時ありました。・・・とすると隣の焼き鳥屋さん?(今はSOUTH GATEという喫茶のようなお店で2階だけがお店です。取り壊した後があります。間口もちょっと小さいですが、私の記憶もうらはらです。位置的にはあってます。「そこだったに違いない」で結論としました。

吉衛門店内

吉衛門店内

マスターといろいろ昔の話をします。江古田駅の話になりました。マスターも昔の江古田駅が良かったと言ってました。駅周辺のお店の話になります。スナック「ママン」は昼までやってた、とか、江古田コンパの横のおにぎり屋さん「やぐら」はまだあるよ、とかマスターも昔の江古田詳しいです。「江古田コンパ」の名前が出たので、「まだやってるんですかねえ?」って聞くと、何と、しっかりとまだやってるそうです。

「江古田コンパ」行った記憶はありませんが、「行ってみよー!!」てなことになりました。

江古田コンパ外観

江古田コンパ外観

3件目は「江古田コンパ」に決定です。お店出る時「これから江古田コンパ行ってきます」と、元気良く向ったのでした。お志ど里の横を通り、江古田駅側からグルット江古田文化のあった所を廻って「江古田コンパ」に向います。

「江古田コンパ」行った記憶はありません、「中はどんな感じだろう。中に入ったら記憶が甦ってきたりして」とか考え楽しみです。

「江古田コンパ」の前に到着です。全体を眺めます。「何か場末のキャバレーみたい」・・・入り口と入り口の中をしげしげと眺めます。「やっぱ記憶はありません」
もう一度外を眺めます。おにぎり「やぐら」確かにありました。

江古田コンパおじさん側

江古田コンパおじさん側

中に入ります。「いらっしゃいませ」の声はありません。お店は2階でした。全く静かです。薄暗くはありません。ホールを2階へ上がります。2階へ上がり目の前の扉を開けます。

目の前の光景は一変、なかなか思ったより広い空間です。「ここは確かに昔来たことが・・・無い」そうです、学生時代来たことありません。

江古田コンパおばさん側

江古田コンパおばさん側

真ん中に客席があり壁側にカウンターがそれぞれあります。年配の男性と女性(おじさんとおばさん)がいます。お客さんは右(おじさん)と左(おばさん)のカウンターに分かれ、背を向けて座ります。今は懐かしい昭和の時代の雰囲気がいっぱい漂います。Vol.2の「半兵衛」は意識して作った昭和ですが、こちらは昭和の生き残り、やっぱり本物は重みがあります。

江古田コンパ店内

江古田コンパ店内

1968年(昭和43年)43年前にお店を開いたそうです。江古田コンパの「コンパ」とはラテン語で「出会いの場」という意味だそうです。「出会いの場、そうか、昔のナンパスポットか」と理解しました。(何か変でしょうか?)

チョット待て!「じゃあVol.1のベーコン、ベースコンパは?・・・ベースの出会いの場? ベースのメンバーの集まりだから既に出会ってるし何か変です。それどころか意味解らない」でも深く考えるのは止しましょう。過去のことです。

江古田コンパ並んだお酒

江古田コンパ並んだお酒

壁にはカクテル用のリキュール類がならび、その上に ウイスキー・ブランデー・バーボンのお酒が並んでいます。その上に月間優秀賞とあり、人の名前とカクテルの名前らしきのが貼ってあります。きっとカクテルの腕を競い合っているのでしょう。久ぶりにブランデーでも飲んでみますか。ダブルでお願いします。でもVSOPだ。大したことないや。

おばさんカウンターの奥の方には女性のお客さんが1組2人です。日芸の学生さんで1年生だそうです。こうゆうお店には行ったことがなく、今回初めてだそうです。経験と勉強のために来たと言ってました。学生のお客さんは日芸の学生や教授は来るけど武蔵の学生は来ないそうです。

グラスも2杯目です。「いかんいかん、強いアルコールだから酔いがまわって来た」次へ行きますか。昔からある「ひょうたん」にしましょう。でも今まで1回も行ったことありません。行って見たい、なおさら行きたく成りました。「今日は酔いがちょっと強いなあ4件目 体続くかなあ?兎に角行こう」

ひょうたんのちょうちん

ひょうたんのちょうちん

「ひょうたん」に向って出発です。「吉衛門」の隣の隣へ戻ってきてしまいました。「吉衛門」の次に訪ねとけば良かったです。でも、これも世の流れだから。

中に入ります。手前がカウンターで奥が座敷です。常連さんが4人。けっこう賑やかです。仲間に入れてもらいましょう。写真奥の二人は結構酔っ払ってます。写真撮らせてもらうと、「まずい、まずい」といって顔隠してしまいました。

ひょうたん店内

ひょうたん店内

ここ「ひょうたん」は昭和46年8月から営業してるそうです。そうすると創業40年です。ここも古いですねえ。武蔵大生はスキー部がよく来てたそうです。今でも創業当時のOBが40年ぶりに来るそうです。
経営者は女性で(今の女将)2代目だそうです。今の店の隣でやっててこちらに引っ越したとか。私も結構酔っ払ってて、よく理解してません。でも、「ひょうたん」が隣だったとすると、「テレビ見ながら呑んだくれてた店」の位置、広さが一致します。そうだったに違いない。問題・疑問は解決です。これで良いのです。(しかし、テレビの店探すのしつこかったですねー)

女将さんに昔の江古田のこと、色々聞きました。よく知ってます。驚きました。でも残念なことに、せっかく取材したのに、酔ってて殆んど覚えてない、取材ノートに殆んど書き込んでない、書き込まれた字は酔っ払って書いたため、自分の字なのに判読不能、何が書いてあるのか、どういう意味か解らない・・・読めたのは「江古田の昔よく知ってます」と営業開始のことくらいです。全く何やってんだか、意味がないですねえ。次回からは気を付けます。でも、楽しかったから良いか。・・・(こいつ・・またやりそう)

夜の新江古田駅

夜の新江古田駅

ってことで今回 Vol.4は終わりです。

今夜は大江戸線で帰りましょう。新江古田駅へ歩きます。酔いに合わせてふらふらと。
月の光が足元を照らしてくれます。

次回はなかなか行けなかった 和田屋 やっと行けました。
そして ベトナムの屋台も。


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