46定 聴き方ガイド


秋も深まって…と言うより初冬の雰囲気となって参りました。
リーデルクランツの第46回定期演奏会はご承知の通り来る11月30日に開催されます。
今回はそれに向けて、現役メンバーが練習の追い込みに入っている曲目の数々について、例によって例の如くウンチクを傾けたいと存じます。
お暇な方は暫しお付き合いのほど、お願い致します。

第一ステージ『An die Music 〜Lieder Kranz〜』

実に洒落てますね。『音楽に寄せて』と『歌の花束』を掛けている訳ですね。

1. “Choral”

Bach

1685-1750

実際のステージでの曲の順番がどうなるのか確認しておりませんが、現役から頂いている資料によると、まず始めに”Choral”とあります。ドイツ語の「コラール」とはルター派教会で歌われる讃美歌を指す言葉で、個別の曲の題名ではありません。今回演奏されるのは、ヨハン・セバスチャン・バッハの教会カンタータ『心と口と行いと生活で』(Herz und Mund und Tat und Leben)BWV147から、第6曲、『イエスこそわが喜び』」(Wohl mir, daß ich Jesum habe)です。日本語訳としては『主よ、人の望みの喜びよ』の方が有名ですよね。
このカンタータは、バッハがライプツィッヒのルター派教会であるトーマス教会のカントル(教会音楽監督みたいな役職)就任直後の1723年に同教会用に作曲された作品で、第1部と第2部に分かれ、この第6曲は第1部の終曲の位置付けです。でもって、第2部の終曲『イエスは変わらざるわが喜び』(Jesus bleibet meine Freude)でも歌詞を変えて再度この旋律が登場します。とても素晴らしいメロディーで、300年の時を超えて現代に語りかけて来るバッハのメッセージ…とか言いたくなります…が、ですよ…。ちょっと興ざめかもしれませんが、このメロディーのオリジナルはバッハじゃないんですね。
昨年の「メサイア」解説の際に、11番 “For unto us a Child is born” は「メサイア」オリジナルでは無く、ヘンデル自作の改編だと言う話しと、更にはこの時代は自作、他作を問わず、引用、流用するのは当たり前で、バッハの「4台のチェンバロの為の協奏曲」はヴィヴァルディの「ヴァイオリン協奏曲」の編曲…と言う説明を書きました。
この曲も讃美歌だかなんだかでもともと有った旋律なんですって。それって、多分ですが、敬虔なキリスト教徒なら当然の教養として知っていて、それをバッハは敢えて援用した…と言う事では無いかと想像します。つまり盗作では無く、周知のメロディーを借用したと言うこと。因みに原曲は4拍子だそうですけど、バッハの方は8分の9拍子になってますから、流麗な伴奏部分はバッハのオリジナルでは無いかと想像します。原曲を確認した訳では無いので、これは飽くまでも私の想像…と言うか、そうであって欲しいと言う願望です。
曲は4声の合唱と弦楽器(ヴァイオリン×2、ヴィオラ)、通奏低音、ソロのトランペットとなります。弦楽合奏が一つの群となり、既述の8分の9拍子の流麗なメロディーを奏でます。それに合唱とトランペットソロ(ソプラノパートと完全同一音型)が呼応する形です。よく見ると、第一ヴァイオリンは3連符の連続で流麗に、第二ヴァイオリンは付点8分+16分音符でリズミカルに、ヴィオラは4分音符でゆったりと…と言う形が全曲を通じて殆ど維持されます。弦楽合奏であれば、あーそーですか、美しいですね…と呑気に言ってられると思いますが、これを一人のピアニストが弾くと言うのはなかなか厄介じゃないかと思います。まあ、若月先生の事ですから、素晴らしい演奏を聴かせて頂けるものと期待しております。
歌詞は第6曲と第10曲の二つがあり、ややこしいので省略させて頂きます。

2. “Lerchengesang”

Mendelssohn

1809-1847

有名な『ひばりの歌』。ロマン派の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンの作曲した『6つの歌』Op.48の第4曲。1839年の作品。名曲ですね。
リーデルクランツ各年代とも、愛唱曲として馴染深い曲と思いますので解説はあまり必要無いかと思いますが、簡単に…。
曲は無伴奏4声で、フーガっぽいです。始めに女声2声で主旋律が示されます。これがフーガで言うところの主唱のように見えます。次の男声は応唱となりますが、ご承知のように女声と男声は同じ調です。フーガの応唱は普通、主唱の属調か下属調になるんですが(『メサイア』のアーメン・コーラスみたいに)、「普通じゃ無いフーガ」と言う事なんですかね?このあたり、あまり勉強してませんので良く解りません。で、男声を追いかける女声は対唱。その後は男女逆転。で、31小節アウフタクトの “zur Sonne!” で初めて4声が縦の線をバシッと合せてラストにつながる。正式なフーガではありませんが、古典的と言うかバロック的な雰囲気を感じます。
そう言えば作曲者のメンデルスゾーンはバッハの『マタイ受難曲』を約100年ぶりに復活甦演させた事で有名で、これが契機になり現代では揺るぎない存在であるバッハ再評価の動きが始まった事も非常に有名です。で、メンデルスゾーン自身、19世紀前半と言う時代性を勘案すると、保守派にカテゴライズされるタイプの作風であったように思います。
“zur Sonne!”と言えば、そう、今回の『ひばり』を含む第1ステージの全曲は全てドイツ語で歌われるそうです。我々の慣れ親しんだ高野辰之訳による「おお、ひばり、たかぁくまたぁー」じゃ無いんです。で、興味が湧いてきたので、ドイツ語原詩と日本語訳、それと直訳を比べてみましょう。

まずドイツ語原詩

Wie lieblicher Klang,
O Lerche, dein Sang!
Er hebt sich, er schwingt sich in Wonne!
Du nimmst mich von hier,
Ich singe mit dir,
Wir steigen durch Wolken zur Sonne,

次に高野辰之による訳

おお雲雀 高くまた軽(かろ)く 何をか歌う
天の恵(めぐみ) 地の栄(さかえ)
そを称(たた)えて 歌い
そを寿(ことほ)ぎ 歌う
恵(めぐみ)称え 栄(さかえ)寿ぎ歌う

最後に直訳

何と愛らしい響きか
おお、ひばり、お前の歌は!
彼は自分自身で飛翔し、至福の中に舞い上がる!
お前は地上から私を運び去り
私はお前と歌う
我々は雲の切れ間から太陽に登る

どうでしょう?高野辰之訳と直訳は随分違いますよね!
因みに直訳はGoogle翻訳を使って、私がテキトーに前後関係をつなげたり、意味が理解可能なように最小限アレンジしました。
重要な違いは、原詩では高野辰之訳に見える「天の恵み、地の栄え」などと言う大仰な事をひばりが歌っている…なんて内容は無いと言うことだと思います。それと日本語では主語が曖昧になりますが、ドイツ語では主語、 “Er”(彼)、”Ich”(私)、”Du” (お前)、”Wir”(我々)が明確になります。
更に、日本語では先ほどドイツ語で “zur Sonne!”と書いた31小節アウフタクトから新たな歌詞「めぐーみー、たたーえー。さかーえほぎーーーーてーーー、うたーーーぁーうーーー」となる訳ですが、原詩では、もう何遍も繰り返してきた最後の一行 ” Wir steigen durch Wolken zur Sonne,”をダメ押し的にもうひと押しする訳です。この辺りは曲調の変化に合わせて新しい歌詞を創造した高野辰之に軍配が上がるのではないかと思いますが、皆様、如何お感じになりますか?

3. “An die Music”

Schubert

1797-1828

言わずと知れたフランツ・シューベルトの名リートです。
でも合唱で歌うのって珍しいですよね。私は初めて聴きます。「誰の編曲?」て問合せしましたら、学指揮の石川さんから「Lydia Smallwood」とのご回答を頂きました。はー、アングロサクソン風の苗字ですね。誰でしょう?私は存じません。ネットでググって見てもめぼしい情報無し。石川さんには楽譜もメールして頂きましたので、曲は解ってます。非常に素直に編曲してある印象で、転調したり異なる旋律を嵌め込んだりはしてません。ピアノ伴奏部分はシューベルトの原曲通り。従って全体の和声進行もオリジナル通り。原曲の旋律はソプラノが担当し、バスはピアノの左手をなぞる。アルトとテノールは和声進行に合わせてそれぞれの音程を辿ります。
原曲は、もはや解説不要かと思いますが、一応手短に。
私の年代では『楽に寄す』と言う題名の方がピンと来ますが、近ごろでは『音楽に寄せて』となるそうです。そう言えば、私の母親なんかは『田園交響楽(この場合は「樂」)』とか『未完成交響楽(同)』とか言ってましたが、今はそんな言い方しませんね。翻訳名は時代と共に変わると言う事かな。坪内逍遥によるシェィクスピアの『ジュリアス・シーザー』の邦訳が『自由太刀余波鋭鋒(じゆうのたちなごりのきれあじ)』。これはこれで、なかなか良い感じですね。因みにシェィクスピアは沙翁。逍遥は歌舞伎再興の為にシェィクスピアを研究すべきだと説いたそうです。
話しが例によって脱線して来ましたので、シューベルトに戻します。
この『音楽に寄せて』D547はシューベルト20歳の1817年、友人であるショーバーの詩に作曲されました。
この頃の(と言うか殆ど生涯ずっと)シューベルトは決まった収入が無い貧乏暮しをしていましたが、彼の才能を認める友人達が住まいや食事を提供するなどの善意の支援のもと、シューベルトは殆ど金にならない作曲に専念し、たまにその友人達に自作を披露し、また声楽家やピアニスト等がシューベルトを囲むサロン(とは言っても質素な)で新作を演奏した。これが後に「シューベルティアーデ」と言うシューベルト本人を囲む内輪の音楽会になっていくのですが、その様な中から生まれた数々の名曲の中の一つにして、白眉と言うべきが、この『音楽に寄せて』と言うことになります。
ドイツ語原詩とネットで拾ってきた意訳、及びまたまたGoogle翻訳による私の直訳を比較掲載しておきます。

ドイツ語原詩

Du holde Kunst, in wieviel grauen Stunden, Wo mich des Lebens wilder Kreis umstrickt, Hast du mein Herz zu warmer Lieb entzunden, Hast mich in eine Beßre Welt entrückt.

Oft had ein Seufzer, deiner Harf entflossen, Ein Süßer, heiliger Akkord von dir Den Himmel beßrer Zeiten mir erschlossen, Du holde Kunst, ich danke dir dafür!

ネットで拾ってきた意訳。訳者は解りません。

甘美なる芸術よ
心病める時も
人生の荒波の前にも
心に灯る暖かい愛情の光
別世界へと誘う

零れ落ちるハープの溜め息
甘く清らかな旋律
我を天国に誘う
甘美なる芸術よ
心から感謝の意を捧げん

直訳

汝、甘美なる芸術よ、どれほどにグレーな時間にあっても、
ワイルドに絡み合った私の人生の時にも。
汝は暖かな愛で私の心を燃やし、
より良い世界の中に私自身を得る。

しばしばタメ息をついた、汝のハープの音に、
汝からの、甘く、聖なる和音、
天上でのより良い時間へと私をいざなう
汝、甘美なる芸術、私は汝のそのような(貢献)に感謝する。

4. Zigeunerleben

Schumann

1810-1856

第1ステージのラストはドイツ・リートの世界でシューベルトの後を継いだローベルト・シューマン作曲による歌曲『3つの詩』作品29の第3曲。1840年の作曲です。この”Zigeunerleben”。邦題では『流浪の民』で有名ですが、正しくは『流浪の民の生活/人生』となります。もともと4重唱で、ピアノとアドリブでのトライアングル、タンブリンと言う構成ですが、現在では合唱で歌われる方が一般的でしょう。合唱でないと途中で登場するソプラノ、アルト、テノール、バスのソロのコントラストが付かなくなり、面白みが無くなる様に思います。
曲は、ユニゾンでガツン!とくる部分があったり、対位法的な部分があったり、短いながらなかなか変化に富んだ楽しい楽曲です。全体的には19世紀中葉から盛んになる民族音楽への傾倒が感じられます。シューマンの後を継いだヨハネス・ブラームスは本当にハンガリー系ロマ族の音楽を取材して、有名な『ハンガリー舞曲』をまとめた訳ですが、シューマンのこの曲はそこまでの調査に基づいたものでは無い様に思います。根拠は有りませんが。因みにブラームスの『ハンガリー舞曲』は楽譜として出版するや大ヒットしたのですが、ロマ族の音楽の魅力をブラームスに吹き込んだヴァイオリニストのエドゥアルト・レメーニは、これをやっかんだのか、「盗作」であるとしてブラームスを裁判所に訴えたそうです。一方のブラームスはこの曲集を「ブラームス編曲」とし、自作の作品番号にも組み込んでいなかった事が幸いし、ブラームスの勝訴に終わったとのこと。先ほどのバッハの時代とは世界がすっかり変わっていたと言う事ですね。
さて、この曲、石倉小三郎による歌詞の日本語訳は原作を超える名訳とも、原意を逸脱した迷訳とも言われております。「ぶなーのもりぃーのはがーくれにぃー」の日本語がアタマに染みついている私としては非常に興味のある話題ですので、リーデルクランツ定演での歌唱がドイツ語である事を解った上で、またまた原詩、石倉小三郎訳、直訳の比較を見てみたいと思います。今回は長くて面倒なので、Google翻訳はしてません。ネットで拾ってきました。

ドイツ語原詩

Im Schatten des Waldes, im Buchengezweig, da regt’s sich und raschelt und flüstert zugleich.
Es flackern die Flammen, es gaukelt der Schein um bunte Gestalten, um Laub und Gestein.

Da ist der Zigeuner bewegliche Schar,
mit blitzendem Aug’ und mit wallendem Haar, gesäugt an des Niles geheiligter Flut, gebräunt von Hispaniens südlicher Glut.

Ums lodernde Feuer in schwellendem Grün, da lagern die Männer verwildert und kühn, da kauern die Weiber und rüsten das Mahl, und füllen geschäftig den alten Pokal.

Und Sagen und Lieder ertönen im Rund,
wie Spaniens Gärten so blühend und bunt, und magische Sprüche für Not und Gefahr verkündet die Alte der horchenden Schar.

Schwarzäugige Mädchen beginnen den Tanz.
Da sprühen die Fackeln im rötlichen Glanz.
es lockt die Gitarre, die Zimbel klingt.
Wie wild und wilder der Reigen sich schlingt!

Dann ruh’n sie ermüdet vom nächtlichen reih’n.
Es rauschen die Buchen in Schlummer sie ein.
Und die aus der glücklichen Heimat verbannt, sie schauen im Traume das glückliche Land.

Doch wie nun im Osten der Morgen erwacht, verlöschen die schönen gebilde der Nacht, es scharret das Maultier bei Tagesbeginn, fort zieh’n die Gestalten, wer sagt dir wohin?

石倉小三郎訳

ぶなの森の葉隠れに宴寿ひ賑はしや
松明明く照らしつつ木の葉敷きてうついする

これぞ流浪の人の群れ 眼光り髪清ら
ニイルの水に浸されて きららきらら輝けり

燃ゆる火を囲みつつ強く猛き男やすらふ
女立ちて忙しく酒を酌みて差しめぐる

歌い騒ぐその中に南の国恋ふるあり
悩み払う祈言を語り告ぐる嫗あり

愛し乙女舞ひ出でつ
松明赤く照り渡る
管弦の響き賑はしく
連れ立ちて舞ひ遊ぶ

既に歌ひ疲れてや 眠りを誘ふ夜の風
慣れし故郷を放たれて 夢に楽土求めたり

東空の白みては夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けばいづこ行くか流浪の民

ネットで拾ってきた直訳。訳者不明です。

森の木陰に ブナの枝の間に 何かがかさかさと音をたて ささやく声がする
木の葉と岩のまわりに 色とりどりの姿がめぐり
そのまわりでは炎がまたたき 光がひらひら揺れている

そこにいるのは生き生きとしたジプシーの群れ
目は光り 髪は波打っている
聖なるナイル河のほとりで母の乳を飲み スペインの南国の陽にやかれている

豊かな緑のなかで炎が燃え上がり 荒々しい男たちが不敵に横たわる
女たちはしゃがんで食事の支度をし 忙しく古びた杯を満たしている
そして色とりどりの花が咲くスペインの庭園のように 輪をつくって唱えごとや歌を響かせる
そして老婆が危険や苦難のときのためのまじないの格言を告げると 群れはそれに聞き入っている

黒い目をした娘たちが踊り始める
たいまつの赤い輝きがきらめく
ギターが誘い シンバルが響く
踊りはどれほど荒々しくなっていくことか!

夜の踊りに疲れると ブナの葉ずれの音が彼らをまどろみへと誘う
そして幸福な故郷を追放された彼らは 夢のなかでその幸せな土地を見る

しかし今や東方に朝が目覚めると 夜の美しい姿は消える
夜明けとともに騾馬がひづめで地面を掻き さすらう姿は移動する
どこに行くのか 誰が君に告げる人がいようか?

「歌う」と言う事を前提にすれば、直訳では長過ぎて歌えませんし、石倉小三郎訳の簡潔で格調高い文語調の響きはなかなか良いと思います。問題は省略し過ぎて元の意味が良く解らなくなっている部分でしょうか。「流浪の民」、従来、「ジプシー」と呼ばれてきた彼等の出身は一つでは無くて、幾つかのグループに分かれるそうです。その中で現在一般的に使われているのが、先ほど言及した「ロマ族」と言う言葉ですが、この「ロマ族」は北インド出身の人々で、それ以外に北アフリカからイベリア半島を経由して北西ヨーロッパに移動してきた一群とかがいるそうです。この『流浪の民』もその北アフリカ出身と言うことになります。従って故郷はナイル川流域。「ニイルの水」とは「ナイルの水」。「ニイル」は「ナイル」のドイツ語式の発音だそうです。でも日本人には「ニイル」じゃぁ何の事やら解りませんよね。それに「ニイル」も「ナイル」も日本語では3音節なので「ナイル」で歌っても大した問題じゃない。それと「スペイン」と言う言葉が全く出て来ない。「スペイン」では字余りになると言う事かな?
まあ、そんな問題を孕みつつも、やはりなかなかな名訳では無いかと思います。それに端折ったせいもあるのでしょうけど、ドイツ語より日本語の方が流麗ですよね。そうは言うものの、今回はシューマンが作曲の前提としたドイツ語の響きで味わってみましょう。

さて、ここまででやっと第1ステージ分が終了。
書く方も大変だけど、読まれる方も大変ですよね…。と言うことで、第2ステージ以降は本番のお楽しみと言う事にしちゃいます。それに第4ステージのJAZZ、私には地理勘がありませんしね。一応下調べはしてあるので、ことによると続きをお送りできるかも知れません。

川島靖之