ぱあ散歩 月の光 1


OB・OG・現役の皆さん凡そ10ヶ月ぶりです。昨年の 「ぱあ散歩」 思った以上に好評だったようで(私がかってにそう思っているだけです) 今年も頼まれもしないのに 「いそいそと」(筑後川Ⅱ出だしの歌詞)江古田に向かい、パソコンに向かっているしだいです。昨年は昼間の江古田を懐かしみ、楽しく散歩させて頂きました。散歩が終わって思ったのです。「昼間も良いけど、やっぱり夜が好き」昼よりも夜が好きな私は 月読命の子孫かも。 じゃあご先祖様は神様?それも天神?(アマツカミ)

月読命・・・古事記・日本書紀に登場する創世記代の神様   神世七

代の初めての夫婦神の男神 伊邪那岐命(イザナギのミコト)が火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を産んだためにこの世を去って黄泉国(ヨモツクニ)

へいってしまった女神 伊邪那美命(イザナミのミコト)を追いかけ、戻って来たとき・・場所は 筑紫の国の阿波岐原(アワギガハラ)・・の川で禊を行い右目を洗った時に生まれた神が月読命です。ちなみに左目からは 天照大御神(アマテラスオオミカミ) 鼻からは建速須佐之男命(タケハヤスサノヲのミコト)が生まれました。

神世七代は造化の七神といいます。神様は人ではないので 一柱 二柱 三柱と数えます。

この筑紫の国の阿波岐原の川・河 とは、古事記が大好きな私の分析によると、まさに「筑後川」ではないでしょうか。

古事記・・・712年 和銅5年 太朝臣安万呂が天武天皇の命で稗田阿礼が誦むところの旧辞を書き記した日本最古の歴史書。 原本は既に存在しません。全3巻からなり、神代編・人世編に分かれ人世編は神武天皇から推古天皇系図まで記してあります。古事記を読みながらその記された情景を想像すると大スペクタルであり、大監督が巨費を投じて映画化して欲しいと切に思うのです。チャールトン・ヘストン主演の十戒にも劣らぬ作品が作れると思います。   私が読んでいるのは勿論口語訳です。

凡そ30年前のゼミの時間を思い出しました。当時はソ連という国がありました。南北問題、自由 (資本)義国と共産主義国、ゼミでの教授との雑談の中で、自由主義も共産主義も最終ゴール行き着くところ 目標は同じ、ゴールへたどる道が右か左か違うだけではないか、でも長い道のり、ゴールまで100年位かかるでしょう  と。ゴールインした時がやっと世界平和と思いましたが、時代とともに世界は変りました。例えば、中国国民は民主化を求めてます。中国の国民はゴール地点は同じと気がつきはじめました。でも国家を牛耳る権力者は解っていても、それを許しません。自分達が獲得した権力と権威を守るために。

宗教においても同じことだと考えます。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、神様は同じヤハウェイです。旧約、新約の違いはあれ聖書を信じています。信じ方が違うだけで戦争が起こります。一信教だの 偶像信仰は許さないだの。それに比べ日本の神様達は何と心が広いことか。知ってのとおり偶像も可、他の神様と一緒に信じることも可。そして何よりも違うのは、どんな場所でもお願いして良いことです。神社でなくてもお願いしたくなった時、何処にいてもその場でお願いしても受け入れてくれるのです。これが日本人の柔軟な考え方の原点なのだと思います。

・・っとっ話が散歩ではなくなってしまいました。軌道修正して、ということで今年は夜の江古田散歩です。今回は夜の江古田の街をブラブラ歩くのではなく、昔懐かしいお店や、当時無かった新しいお店を紹介しようと思います。夜ですから夜の象徴は「月の光」。 「月の光」といえばまずは ドビュッシーです。同じく「月の光」でG.U.フォーレ(ガブリエル・ユルバン・フォーレ)の作品もありますが、私は、ドビュッシーの「月の光」が好きなのでドビュッシーに因むということにします。

クロード・ドビュッシー
1862年8月22日~1918年3月25日 フランス生まれ
印象派絵画や象徴派詩の影響を強く受けながら印象主義と呼ばれるフランス独特な音楽を創始した音楽家。(他に代表的な音楽家は ラヴェルです)孤高の存在だったが、そのデリーケートで細密な音楽によって、日本を含む近代・現代音楽の創造の扉を開いた。その人生は波乱万丈

・・・・だそうです。

「月の光」は彼の最も親しまれている作品で「ベルガマスク組曲」の3番目の曲。ベルガマスクはフランスの詩人 ポール・ヴェルレーヌの詩集「艶なる宴」に収録されている詩「月の光」これを使用したものです。構成は1.前奏曲 2.メヌエット 3.月の光 4.パスピエ  変ニ長調の曲で、ピアニッシモで演奏され教会旋法の一種ミクソリディア旋法が中間部の優雅な旋律に採用されています。究極のデリカシー。川島さんの文章を意識して説明してみました。 氷川きよしの「箱根八里の半二郎」やエグザエルの「Choo Choo TRAIN」も変ニ長調の曲です。

一方、G.U.フォーレの「月の光」はこれも ポール・ヴェルレーヌの詩に曲を付けたものであり、歌曲集「2つの歌 OP46」の2曲目と「マスクとベルガマスク」の6曲目にあります。

G.U.フォーレ
1845年~1924年 フランス生まれ
サン・サーンスの弟子として20世紀近代音楽の前段階である純音楽を発展させた。パリ音楽院でも指揮し、ラヴェルは彼の門下生。宗教曲、室内楽、ピアノ曲の作品は傑作が多数残されている。また、フランス歌曲の基礎を築いた功労者としても有名。

※ウキペディア、飯尾洋一氏等を参考にしました。

ということで、「月の光」と付けた理由と「月の光」の説明は終わりです。 長くなりましたが初回ですのでプレリュードやプロローグは必要。私たちは音楽に美と文化を求める集まりです。

それでは 「ぱあ散歩  月の光」の始まりとなります。

昨年通り池袋から西武池袋線に乗って江古田駅に到着です。今日は計画通り仕事直帰でまだ明るいうちに到着出来ました。昨年はまだ外周りが工事中でしたが当然完成していました。駅前の広場は江古田の街になじんでいます。「ふ~ん こんな風になったのか」と振り返って駅を見ました。

夕方の江古田駅

夕方の江古田駅

ごくふつー です。昨年の驚きとショックはありませんでした。でも駅前の昔百果園の場所は、またお店が変っています。テイクアウトのお鮨やさん(三崎港)です。早やー。マグドナルド、TOKIの前を通ってお志ど里を左に曲がって右行ってすぐ左、そして千川通りへ・・・江古田の想い出といえばやはり、何と言っても

あきやま看板

あきやま看板

「あきやま」 第1回第1号店は「あきやま」と決めていたのです。「おい、あきやま は無くなってショックしてただろ?」そうです、「あきやま」はもうありません。「あきやま」のあとに出来たお店に行きたいのです。新しく出来たお店の紹介です。千川通りをトコトコあるいて「あきやまストア」まで来ると、上のほうに看板・・・「酒の秋山」この奥100mと→の看板。えっ?「あきやま」復活?何を置いても→の方へ行かなくては。と、まっしぐらに→に従って向かいます。辿り着くと、そこは酒店「あきやま」綺麗でお洒落なショップです。ウインドウには日本酒を押し出し結構凝った感じのお店です。入ってみたくなりますが、目的と違う。「期待は まあこんなもんか 残念」と来た道をもう一度戻り、目的の場所へ。

あきやま酒店

あきやま酒店[/caption
目的の場所へ到着です。お店の名前は 「暁」 昨年もありました。外から暫く外観を眺め、入り口のガラス越しに中を確認し,(傍で見ていると挙動不審な変なおやじ、近づくと危ないと思われたかもしれません)もう一度外観を眺め「結構良さそうかも」と。  中へ入ります。 まだ時間が早いせいかお客は居ません。今日は私が開店第1号のようです。「こんにちわー これこれこういう者だけど」と説明して、写真撮影の許可を頂きました。おしぼりが出てくるまで店内をゆっくり観察です。

[caption id="attachment_41" align="alignright" width="240"]暁全景 暁全景

カウンターと小さなテーブルが1組。落ち着いた雰囲気、なかなか良さそう。ここで昔の「あきやま」を思い出し、「カウンターがあの辺りから変形コの字形に こう あったよなー」と昔と今を照らし合せます。
このお店は日本酒に力を入れているようです。入り口を入って左には、扉がガラスの冷蔵庫、日本酒が丁寧に並べられています。ガラスには、「お酒を紫外線に当てないように」と店員への注意書きがあります。この気の使いよう、なかなかやるな です。川島さんここは日本酒良さそうです。

先付けと真ゴチの刺身

先付けと真ゴチの刺身

まずはお決まりのビールを頼みメニューに目を通します。凝った料理・こだわった料理が多々あります。「おっ 真ゴチ(マゴチ)がある、洗いは無理だから刺身で」注文しました。真ゴチは梅雨の終わりの暑い頃から「照りゴチ」といって一番おいしい時期です。今回の ぱあ散歩 は新旧のお店訪問の紹介であってグルメレポートや料理レポートでは無いので味の良し悪しについては説明しません。

管理された日本酒

管理された日本酒

ここのお店 暁 は1階と地下1階があります。地下1階は4テーブルと個室2室で 19名程は入れるそうです。オープンして今年で3年目だそうです。それ以前はラーメン屋さんだったり色々お店が変ったそうです。お店のメンバーは経営者兼板前の親父、男性従業員1名、アルバイトの女性1名 このアルバイトの女性 武蔵大学 人文学部 3年生で2年弱前からここでアルバイトしているそうです。

暁店内とアルバイトの娘

暁店内とアルバイトの娘

「リーデルクランツ知ってる?」て聞いたら「名前聞いたことあります」だって。「昔は50~60名も部員がいたんだよ」て教えたら「そんな大きなクラブだったんですか」って驚いてました。昔ここに「あきやま」があったことは聞き伝えで知っていましたので、その後の経過を聞いたら知りませんでした。「ばか!当たり前だ、まだ生まれてないし、そのころはお前がこの娘と同じ位の年齢だろう。知ってたら大変だ!聞く前に考えろ!アホー!」と自分を叱責したのであります。全くです。反省!

ここで暫し昔の話に戻ります。「あきやま」は普段もそして特別な日も皆で通い続けたお店なのです。その特別な日とは、月に1度の「ベーコン」(ベースコンパの略称)です。パトリが声をかけ召集します。ソプラノはソプラノ会、アルトはアルト会、テナーはテナー会、なのに、何故かベースだけはベーコン(ベースコンパ)でベース会ではありませんでした。(私が入学以前からです)私の時代はベースのメンバーは常時8~10名程度いたと記憶してます。その当時と比べ今の現役達は可哀想です。そのベーコン 他のパートからも大変人気のある集まりでした。練習休んでベーコンだけ出席した奴もいたと記憶してます。練習が終わり皆で「あきやま」へ行きます。

つまみ、まずはくじらベーコン(ベーコンだから)当時くじらは安かったです。会話は勿論「演奏会について、音楽とは、芸術とは、今の曲の解釈、作曲者の意図は、奏法について、クラブの運営について」等々の議論や会話・・・・・・は殆ど無かったです。「どの子が好み?あの子とどうなった?こないだあの子と二人で何処言ったんだよ?」とか、そんな会話を主としながら、たまには音楽について語り合いました。そして気がつくと呼んでもないのにテナーがチャッカリ横にいる。ソプラノやアルトも加わっている。ベースは他のパートの会には参加しなかったのに。(参加を断られていたのが正解です)そんな人気のベーコンでした。そして極めつけが「あきやま」閉店のころです。

心地良く酔ったお客さんが歌い出すとあきやまのおばちゃんは「うるさいから歌わないで!」と本気でそのお客さんを怒るのです。そして私たちが帰る頃、前に来て「今日も歌っていって」と言ってくれるのです。一列に整列して男声合唱の準備を始めるとおばちゃんと池田さんが私たちの前で私たちの方を向き、きちんと立って、そして聞いてくれたのです。歌い終わると「いつも上手ねえ」と声をくれました。他のお客さんとのこの違い。ありがたかったです。

皆がお金が無くて塩からの汁やマヨネーズだけで飲んでいると、見かねて「これ食べな」とつまみを差し入れてくれました。皆本当に可愛がってもらいました。

さて、「あきやま」 違う、「暁」出て2件目行きますか。「暁」もなかなか良いです。でも当時このお店があったとしてもお金の面で通えなかったなあ。 「ごちそうさま」お会計してお店を出ます。

外は「月の光」・・・いや、曇ってました。

ベトナム屋台2

ベトナム屋台2

「月の光」は無いけども千川通りを渡って江古田銀座の通りをゆっくり歩きます。「お腹がきつい、ペース配分間違えたかな?初っ端からしくじった」と思いつつ三菱UFJ銀行の50m位手前、何この店、ベトナムの屋台?ちょっと寄って行こうかとお店を見ると入り口に「夜は飲み物だけはダメ」って書いてました。

ワイワイ正面

カフェ アンド バー ワイワイ

「じゃあ次回」と同じ方向に20m位さらに歩くと右側に 携帯メールの賑やかマーク(パソコンでは現せないので左の写真見て下さい)のお店が目に入りました。「何これ?昔の江古田にはこんなの無かった、都心や城南地域には有る」外から中を覗くと(覗かなくてもオープンだから丸見えです)お客さんは女性が1組2人 奥にいるだけです。ここでショットして行きましょう。「ボン・ソワール これこれこういう者ですけど」と説明して写真の許可を頂ました。写真を撮る前にお客さんに聞こえるように「お客さんは出来るだけ写らないように撮ります」と声かけて(撮影後お客さんから困ると言われトラブルになるのいやだし)の気の使い様。ワインをお願いしてお店の中をじっくり観察します。店内はマスター(経営者 まだ若い)一人です。広さからして一人で十分。折りたたみの丸椅子(ホームセンターにあるような安物)2~3脚を立て掛けたカウンターと丸テーブルと腰高の椅子のセット4組、暖色の照明、気軽な感じのお店です。マスターと色々お話します。「30年前 すごいですねー」とマスター驚き、昔の話聞けて嬉しそうです。外に店名が書いて無いのでお店の名前を聞きます。「カフェ アンドバー ワイワイ」だそうです。知らないだろうと思いながら「ここ 以前何があったっけ?知ってる」って聞くと、ビックリ! 答えが返って来ました。「喫茶 ハマ」でした。「喫茶 ハマ」行った記憶は無いけどそんなお店確かに有りました。「うわっ!予想外の収獲」・・・「ハマですよハマ! 懐かしい響き」

ワイワイ内部

リヨンで修行したマスター

気を良くした私はマスターと会話がはずみます。武蔵大生は20人位の集団でくることが有るそうです。その時は立ち飲みでお店ギュウギュウですって。「この広さならそりゃそうだ」・・で マスターの紹介です。マスターはフランスのリヨンでフランス料理の修業をしていたそうです。日本のレストランで暫し労いて、このお店をやっているそうです。自信・自慢料理はハチノス(「ぶ~んぶん」の蜂の巣ではありません。牛の第2胃袋です。(牛は胃袋がいくつもあるんですよねー)このハチノスのパン粉焼きが  マスター自信も大好きだそうです。リヨンでこの料理を始めて食べた時、「これだ!」と思ったそうです。お店のメニューにもハチノス料理ありました。食べたいけど、まだお腹に余裕無し、「次回があるさ」と楽しみはとっておきましょう。そしてマスターにアドバイス、「将来江古田でフランス料理店オープンするなら音大側が良いよ、昔は音大そばの住宅地に家庭的なフランス料理店いくつかあって、そこそこ流行ってたみたいだよ」って教えてあげたら、またまた大喜びでした。私はハチノスは中華料理の煮物で食べたことあります。好きです。でも私がもっと好きなのはセンマイ(やっぱり牛の胃袋)の刺身です。噛んだ時の食感たまりません。値段は安いです。所詮ホルモン。 

マスターに「ごちそうさま お勘定」して、「さあ、次行きますか、外は私の支配する世界」・・・・っとっ・・続きは次回にしましょう。

次回は「乃がた」旧のお店訪問です。・・・・・が! 私にとってサプライズあり

 


5 thoughts on “ぱあ散歩 月の光 1

  1. 白雉祭のときだったでしょうか? 大講堂で開催したミニコンサートにあきやまのおばちゃんと池田さんに来てもらったことを思い出します。
    他のパートの会はいろいろな店で会を開催していたようですが、あきやまはベースのベースステーションでもあったのでベーコンは必ずあきやまでの開催でした。しかも純粋なベースだけのベーコンって私がいた4年間でも一度も無かったように思います。いつも他のパートのメンバーが一緒にいました。そんなに当時のベースが魅力的だったのでしょうか?…。
    いや・・・あきやまが誰に対してもとてもフレンドリーだったのですね。
    第1回:夜の江古田のぱあ散歩。とても楽しく拝読しました。あきやまの場所にあった暁にも行ってみたくなりました。暁と月の光。似て非なるものかもしれませんが、世代を超えたベーコンを暁でやるのもいいかも…。

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